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ウィンキューブインターナショナル┃ビジョン

夢(ビジョン)

私は、農家で生まれました。 農家の食卓にはいつも採りたてで旬の野菜があります。完熟している為に本来の味を口いっぱい頬張って食べていました。そのことにより「旬」を肌で感じていたのです。今でも野菜の旬は、体に刻み込まれています。小さい頃いつも父が「こんなに美味しい物、都会の人は食べられないだろうから直接販売して食べさせてあげたい」と言っていました。 それほど「旬」の食材は、美味しいのです。食材は、一番美味しい時に食べていただきたいのです。本来の味を知るために。

今生産者が流通に対応する為に様々な本来の仕事ではない事をしなければなりません。例えば、東京に出てきて商談をする事などです。その様な事をしなくても生産者が商品を作る事に集中し、素晴らしい商品を世に送り出すことができる市場目指さなければいけません。それぞれが役割分担を明確にして商品が売れる様になり

地方が活性化されることが私の一つの夢であります。

また良い出会いの中で様々な商品をご紹介いただきその商品をアレンジしてお客様に提供しお客様の喜ぶ顔を見たいと思っています。それには色々なところで多くの方と出会い繋がりを広げていく事が必要です。

他業界の方々とも出会い様々な商品を知り商品化してお客様に喜んでいただくことが私のもう一つの夢であります。

生い立ち

■生い立ち

私が生まれたのは、昭和34年伊勢湾台風が上陸した年です。ちょうど台風が真上を通った三重県松阪市の農家に12月に長男として生まれました。伊勢湾台風が9月の事ですから私は母のお腹の中で守られていたわけです。

曽祖父、曾祖母、祖父、祖母、を含めた8人家族の中で事ある毎に「跡継ぎなのだから」と言われて育ちました。必然的に農家に都合の良い「学校の先生」になると決めていました。大学生まで休みになると将来の職業になると思い農業の手伝いをして過しました。

農家ですから旬の野菜はいつも畑にあり新鮮で完熟した野菜が食卓の上に並んでいた覚えがあります。農家ですから完熟以外は食べた事が無かったのです。東京に出てきて野菜に味が無いと思ったのは当然の事だったと思います。

いつも父は「こんなに旨いもんを都会の人に直接売って食べさせてあげたいんやけど難しいなぁ」と言っていました。当時は意味が判りませんでしたが今身に沁みて判ります。その意味では、今いただいている仕事は運命なのかもしれません。

■先生の夢破れる

中学、高校と勉強を自分なりにして大学受験に望みました。教育学部は、大丈夫と先生から太鼓判を押されていましたから先生になるものと結果発表を見るまで信じていました。

しかし発表日に自分の受験番号は無かったのです。当時は2期校までありましたので受験することも考えましたがやはり第一志望に不合格になったショックで私立へ行く道を選びました。初めて挫折を味わった時でもあり、先生の夢が破れた瞬間でもあります。

この時両親は「自分の好きにしろ。先生に執着しなくてもええから」と言って私立に行かせてくれました。今でも本当に感謝していますし世の中で尊敬できる人と言えば真っ先に両親と言えるでしょう。

■順調なサラリーマン時代

大学を卒業してハウス食品に入社しましたが、M&M’sチョコレート、ハイネケンジャパン、ヒーシュタントジャパン、等ヘッドハンターにスカウトされ転職をしてきました。給料は順調に上がり年2回海外旅行に行けるまでになったのです。正に人生で有頂天の時代です。

この職歴の中で食品のルート(スーパー、百貨店、コンビに、業務用、鉄道売店)を全て経験できた事は今の財産になっています。ここで幅広い人脈も出来ました。

■2度癌に侵される

1996年36歳の時ハイネケンジャパンに転職したと同時に「大腸癌」が発見され手術をし、独立してから2005年45歳の時「精巣腫瘍」が発見され手術をしました。発見が遅れたら命は無かったと思いますが幸いにも両方とも完治しました。大きな交通事故も1回起こしましたので3回蘇っています。しかし蘇ったのは何らかの使命があるからだと感じています。

■独立

2002年1月何かに押されるように会社員を捨て独立しました。日本酒の蔵元さんの営業代行から始めましたが思うように売れません。しかし独自の販売方法を考えて必死に動いていた時に、昔の友人に大手雑誌社に紹介いただき取材されて記事になりました。

ここから道が開けてきて地方食材のコンサルティング業に繋げて行けたのです。自分でも必死でした。何しろサラリーマンと違いお金が無くなれば食べていけません。必死で行動すると助けてくれる人が必ず現れます。地方銀行、行政の方々をご紹介いただき仕事をいただける様になっていったのです。

■信念

自分の仕事で心がけているものがあります。信念といえるでしょうか。それは「自分で経験しないと人にアドバイスできない」と言う事です。

私は、実際に販売をします。その経験から最善の方法を提案するようにしています。肉も魚も野菜も加工品も全て販売しています。自分の体験からのアドバイスしかできません。関わった事の無いジャンルはお断りするか勉強させていただいてからアドバイスさせていただきます。口先だけのコンサルタントになりたくないからです。

私の使命は、小さい頃父が言っていた事(こんなに旨いもんを都会の人に直接売って食べさせてあげたいんやけど難しいなぁ)を効率よく出来る方法を生産者の皆様にお伝えする事であり食を通じて地方が元気になる事です。

食品以外でもまず自分で試して納得しないものは係りを持てません。自分で販売するものは全て自分でも試している商品ばかりです。儲かるからこの商品を取り扱うと言う事はするつもりはありません。

社名にもありますようにかかわりを持つ方々全てがwinにならないとビジネスとは言えないと思っています。

 

プロフィール

代表取締役 田所 宜己(たどころ たかみ)

昭和34年(1959年) 三重県松阪市生まれ
昭和57年(1982年) 慶應義塾大学商学部卒業

経歴

1982年 ハウス食品㈱
1989年 マースジャパン菓子事業部
1996年 ハイネケンジャパン営業統括部長
2000年 ヒーシュタントジャパンセールスディレクター
2002年 ウィンキューブインターナショナル設立

講師・アドバイザー

農林水産省 普及指導員研修講師
三重県農林水産支援センター 食の魅力づくり事業支援アドバイザー

専門家登録(商品開発・販路開拓・マーケティング部門)

(財) いわて産業振興センター 
(財) あきた企業活性化センター 
(財) 山形県企業振興公社 
(財) 岐阜県産業経済振興センター 
(財) とくしま産業振興機構 
(財) 佐賀県地域産業支援センター
(財) かごしま産業支援センター 

企業アドバイザー・顧問

横田酒造㈱ 顧問